雑談

デスノートを書いていました。

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こんにちは、今井です。

やっと暖かい日が続いて良いですね〜
花粉がしんどいですが、私は春が1番好きです。

私の地元は滝があったり忍者の里があったり観光地なので、沢山観光客が来ています。

今日は両手に杖をついて奥さんに支えられながら観光している老父婦を見かけました。

私の両親と歳が近そうなのでついつい見ていましたが、ふと親孝行について思うとこがあったので書きました。

私は今でこそ父親と仲良くしていますが、中学生の頃は本気で死んで欲しいと思っていました。

父はその頃はよくイライラしてたので、何かと言うと叩かれました。

私はやり返せないので、その怒りをノートにぶつけていたんですよね〜

ノートに鉛筆が折れるまで、死ね死ね死ね死ね死ねと書くのです。

かなり暗いです(笑)

どうしてそんな事をしていたのかは覚えていませんが少なくとも少しはそれをする事で気が楽になっていました。

まさに今で言うデスノートですね(笑)

母親にも手をあげていたので本当に殺してやりたいぐらいでした。

基本的に男はお母ちゃんが大好きです。

天国までの100マイルを紹介した時は何人も男性から感動したとメールをもらいました。

そんなオカンを叩く父は私にとっては敵でしかありませんでした。

母には何度も聞きました。

なんで別れへんの?

母は一度本気で別れるつもりで大阪の豊中にアパートまで借りたのですが、結局は住まずに父と暮らす事を選びました。

その理由はこれです。

父ちゃんには母ちゃんが居らんとあかんねん。

あれでもええとこあるんやで。

父のええとこなど見た事がありません。

しかし私が会社を始めてからはとても気にかけてくれて資金援助してくれたり、ポスティングしてくれたりしました。

起業した当時は情報起業家の商材を製本する仕事をしていたので、なぜか父はいつも私の会社の事を工場といいます(笑)

製本工場のイメージなんですかね。

最近工場はどうや?とか聞いてくるんですよねw

起業当時は人もいないので母が製本して父がDVDを焼いて梱包すると言ったまさに家内工業でした。

私はギャラも出していないのに悪いなーと思っていたのですが、両親はとても楽しそうに作業してくれました。

その時母が言った言葉が忘れられません。

まさかこうやって親子で並んで仕事するなんてな〜オモロイもんやな〜

私はその時、

「こう言う事が本当の親孝行とちゃうんかな?」

と思ったのです。

親孝行と言えば旅行に連れて行ってあげたり美味しい物を食べさせてあげたりと色んなスタイルがあります。

でも実家から10分のとこに住んで何かあればすぐに駆けつける事が出来る。

息子の工場は大変そうやけど、なんとか頑張ってるみたいや。

月に数回は実家に行って会社って大変やわ〜とか言いながら一緒にお菓子を食べる。

なんかこう言う何気ない事が実は両親にとっては嬉しいんじゃないかなと思います。

父はテレビで見たぞ!今こういうのが儲かるらしいぞ!と言ってはネタを提供してくれます(笑)

父ちゃん、今はユーチューバーってあんまり稼げやんのやで〜とか私も言いながら会話を楽しんでいます。

以前は死ね死ね死ねと書いていたのが嘘のように父に対して優しくなれています。

デスノートが本当に存在してたら、あの頃の私は間違いなく父の名前を書いていました。

中学生の頃から30年も経ちましたが、歳を取るのも悪くないな〜と思いましたね。

もしあなたが最近親と話していないのであれば、久しぶりに連絡してみて下さい。

そう言うとこから、何かが動き出したりしますので。

ではまた

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